看護・高齢者ケアプログラム体験談・視察レポート
皆さんこんにちは! 私が社会人になり、真剣に英語に取り組み始めて今年で8年になります。私が富山赤十字病院で看護師として働いていた2008年。病棟の管理日誌に綴られていた、看護師のための留学パンフレット。そのとき目にしたある1枚の、トラベル・パートナーズのパンフレットを通して、それ以来オーストラリア・メルボルンという都市と、深く長くお付き合いさせていただいていること、とても嬉しく思っています。
私は2008年10月開始のメルボルン長期看護留学(1年間)、看護プログラム研修に参加し、初めての海外生活を経験しました。
(何も分からず飛び込んだ異文化の世界、そのとき感じたこと、英語上達のためどう過ごしたか、辛い時どう乗り切ったかなど。興味ある方、当時の元気いっぱいの私の体験談が別にあります^^!!)
※2008年からの2年間の留学体験談はこちら>> Part1・ Part2・ Part3
私はこの、8年前に初めて臨んだ語学留学が、私の人生に何か大きな衝撃と感動を与えた瞬間であったことを、今でも覚えています。自分の英語が(少しずつ)伸びる喜びを知り、そして海外生活が面白くて仕方のなかった私は、2009年9月にメルボルンランゲージセンターを卒業後、翌年2010年のワーキングホリデービザを取得しました。メルボルン生活の延長を決めた2年目は、学校には行かず、私の英語力でも働ける職を探し、日本食雑貨店や日本食レストランで働きながらメルボルン市内での生活自体を楽しみました。横の輪を広げて、オーストラリア人・現地で出会う日本人を問わず良き友達を作り、ワーキングホリデーlifeを満喫し、後悔なく帰国したのでした。そういうわけで、幸運にも2年間もメルボルンに暮らしたのです。
メルボルンのダウンタウン。フリンダースストリート駅前の大聖堂の前を、観光用ですが馬車がいつも通っています。美しい建物や雰囲気にウットリします。
Flinders Street Station フリンダースストリート駅は、メルボルンの中心にある駅です。
私の通った語学学校が近くにあります。毎日に通勤に、私はこの駅を利用していました。思い出の駅です。
フリンダースストリート駅の反対側は、サウスヤラ川が流れていて、その夜景は本当にキレイなんです。サウスバンクと呼ばれるこのあたりはデートスポットで、いつか私も。。。(願望)笑
帰国後はすぐに、地元の大きな病院で再就職しました。医療スタッフにも恵まれ、患者さんへのケア提供から自分も学ぶ毎日。いつもの環境で看護師として、約5年コツコツ働きました。その間、楽しかった2年間のメルボルンでの出来事が、私の人生の思い出のひとつとして風化しつつもありましたが、一方で、意識的に大切に、いつでも私の心の片隅に置くようにもしていました。(メルボルンをふとした時に思い出せるよう写真を飾り、当時メルボルンでできた大切な友達と連絡を取り続けました。)
日本に戻っても、私の英語に対する情熱は冷めるどころか続けて益々盛り上がりました。多忙で「英語を諦める」とか、「忘れる」ということはなく、またモチベーションを保つことも、さほど難しくはありませんでした。自分にとって、英語学習はすでに習慣、もしくは身の一部だったと思います。月に3~4回、習い事として、せめてものKeep upのつもりで最寄りの英会話AEONに通いました。日勤、夜勤、AEONの予習、AEONレッスン、復習、休み。の日々の繰り返し。たまにリフレッシュ休暇をいただき(7-10日間)、休暇時はアメリカに出かけました。興味のある場所(英語圏)への一人旅は、いつも習い続けていた英語を使いたい好奇心の塊と実践の場でした。そうやって、仕事中心の毎日に英語と旅行を楽しく取り入れながら、地元で懸命に暮らしたわけです。
でもあるときから、私はなぜ英語を学ぶのかと自問自答し、考えるようになりました。日常生活では英語を使うことのない環境(日本)で、ただ学ぶだけの毎日は、私にとってそろそろ限界かもしれない。何のために、英語上達にこだわり、お金もかけてここまで励むのか。
最初は単純に英語が楽しくてという原点から、次は、英語を学ぶ目的あるいはゴールをはっきりと見出し、自分のなかで英語を学び続ける意味を知らなければ、それ以上はハードルが高くて、英語が難しくて、理解不可能なレベルでした。いつもどんな困難にも前向きに取り組み、英語を楽しんでいた私にやってきた「ついていけない壁」。
その頃は、日本英語検定準1級の試験を初めてやってみたのです。この苦難を乗り越える元気をどこから得たらいいのか。難しすぎてびっくりし、そして相当のショックでした。これが、英語を実用的に使い、働く。深いコミュニケーションを図るために求められる、必要な英語力なのか・・・と。英検準1級の合格レベルは、IELTSスコア・オーバーオール5.5~6.0と言われています。IELTS(アイエルツ)とは( International English Language Testing System )、英語熟練度を測る英語検定のひとつで、オーストラリア・カナダ・イギリスなどの国への大学出願、仕事や移住関係のために必要とされるテストです。そのスコアが、自分の語学力を国際的に証明することになります。
今までに留学を考えたり、実際に留学を経験した人はきっと聞いたことのある試験だと思います。もしIELTSを受験したことがなかったとしても、のちのち必要になってくると思います。ちなみに、OET合格のレベルはIELTSの4科目(Speaking, Listening, Reading, Writing)オール7.0以上です。
2015年についにその答えが弾け出たのです。私は「自分の英語を使って何か看護・医療に役立つ仕事をしなければならないのではないか。それが、私の生きる道かは分からない。しかし学んだ英語が、何か看護に役立つなら本望だ」と。そんなとき、『私の思い付きは運命だったのか!?』というタイミングで、「国境なき医師団」という団体があることを知りました。すぐに応募しました(単純)。すると2015年6月、書類審査(履歴書は全部英語)に合格したのです。ただ、その後7月の2次面接(日本語・英語両方)は残念ながら不合格でした。特に、私の面接担当をされた方は日本で看護学校を卒業、病棟での臨床経験後、オーストラリアの看護大学を卒業し、メルボルンの病院で4年間、看護師として働いたそうです。その後、国境なき医師団日本のメンバーになったという・・・ガーン!!!!! 私には、そのような素晴らしい経験も何もない・・・いや、自分のたどってきた道が恥ずかしいとかそういうことでもないし、人と経歴を比べることも全く必要ない。ただなんという偶然のめぐり合わせか、私はこのとき、メルボルンに行かなければならない。一度、もう一度そこへ行けば、何かヒントがあるはずだ。こうしてわらにもすがる思いで2016年2月、6年ぶりにメルボルンに行くことになったのです。それが、今回の短期留学となりました。
7月の面接で残念な結果のあと、2016年2月に出発するまでの半年間、バイトをしながら自己学習をしていました。一人図書館に通い勉強していましたが、孤独でした。地元で英語を一緒に頑張る友達は一人もいませんでした。私にはクラスが、仲間が必要だとずっと感じていました。クラスでテスト対策や戦略を学び共に励まし合い、時には競い合える、数字で結果を出すための仲間が。
出国前に留学期間を決めるとき、私は短期決戦だと思っていました。3か月という期間は留学には短いように感じる人もいるかもしれません。もちろん留学目的により期間は選択自由です。今回私は「自分には3か月しかないのだ」とプレッシャーをかけて、追い込みました。そしてそれは集中力を発揮させました。初日から最終日までサバイバル精神、本当に時間を惜しく思い、全力疾走したと思っています。
語学学校の、IELTSクラスの担当先生のひとり、ケイト先生。アカデミック英語を学ぶにあたり(莫大な量の英語を読み書きする、聞く)そしてテストでハイスコアを狙うためには、戦略が絶対に必要なので、3ヶ月、しっかり勉強しました。
私はこの3か月間、医療英語を学びたかったのでOETクラスへの入学を申し込んでいました。しかし現地の留学コーディネーターの方とよく相談し、まずはIELTS準備コースでアカデミック英語を訓練したほうがいいと判断、入学日にIELTSクラスを希望しました。語学学校の先生は、もとIELTSの試験官だったという先生、OET指導のプロの先生達、素晴らしい先生達ばかりでした。留学12週の最終月にはIELTSの本番テストを受けて帰国する!と目標を設定しました。この3か月でどれだけスコアが伸びたか、絶対に確認したいという気持ちでした。実際、留学1か月前(1月)京都でIELTS受験した結果より、帰国寸前(5月)に受けたテスト結果が、すっごく伸びていたのです!!!!!!!
朝8時には家をはなれ、9時登校。9:15~12:30まで講義に全力集中します(途中にもちろん休憩あり)。ランチタイムは1時間あるので、お弁当を学校のキッチンで。普段はホームステイ先でサンドイッチを作って持参か、前日の残り物を上手に詰めて、満足弁当。たまにはクラスメートを誘い、気分転換に学校周囲の安いレストランやカフェで、サンドイッチの毎日に飽きがこないよう工夫。
午後は13:30~14:30の1時間を講義に集中し、放課後はコーヒー片手に(メルボルンはコーヒーが有名)図書館で2~3時間勉強して帰宅。これをルーチン行動にしていました。私はホストマザー(ジェニー)と一緒に夕食を食べるのをとても楽しみにしていました。私のホームステイ先では、夜7時から8時に一緒に夜ご飯を食べるという決まりだけは守るようにしようと。あとはお互い大人なのだから、あなたも時間は自由にしていいのよと。そんなジェニーの寛容さに私は安心して楽しく暮らすことができました。のちに、この1時間のジェニーとの毎日トークが、私のスピーキング力向上にどれだけ貢献されていたか、テスト結果に表れるのです。ジェニーは、リタイア前は高校の教師(栄養学)だったそうで、そのためか私の毎日の英語学習に本当に協力的で、教育的でした。私は今回、本当に素晴らしいホストファミリーに出会ったと思っています。ジェニーには「私の弱点はリーディングだ」と話していたら、その日の晩から毎日の授業で使った1トピックを、声を出して読む特訓が始まりました。私の音読と発音の修正をしてくれました。お互いの用事がない日は毎晩、それは続けられました。ホストマザーのジェニーには、どれだけ私との時間を費やしてもらったか。感謝しかありません。
放課後はたいてい図書館へ。Melbourne States Library 州立図書館です。学校の近くには他にもまだたくさん図書館はあるのですが、なかはとても広くて、美術館もあります。私はこの図書館の落ち着いた雰囲気が好きで、よく通いました。
ホストマザーのジェニーは栄養学を教えていた先生だったので、自宅でのお料理もオシャレでした。
ジェニー作のキッシュ。オーストラリアのバーベキュー(ソーセージ)はたくさん種類があるのですが、ジェニー曰くこのほうれん草とチーズ入りの豚肉のソーセージが一番美味らしいです。私も、すでにこれの大ファンです。
カンガルーのピザです。レストランでは、普通にメニューにあります。カンガルー、美味しいんです!牛肉のような味で、とっても柔らかいのです。
帰国前日に、ジェニーが私の送別会を開いてくれました。ジェニーの子供さんやお兄さん夫婦も集まってくれました。
素敵な家族に、3ヶ月間お世話になりました。お料理はジェニー手作りの、ラザニアです。
8年前、一緒にシェアハウスに住んでいたアレックス。彼女は今でも大切な友達。当時は大学生で、今は社会人として、しっかり働いていました。この日は、私の送別会といって、街でランチしました。
ジェニーはガーデニングが趣味で、私も一緒に近くのホームセンターに種を買いに行ったり、ジェニーの庭で花を観賞したりしていました。身近な植物も、日本と違って面白いのです。メルボルンの家庭ではバラを育て、庭にレモン、バナナ、オリーブの木などが普通にあるんです。街にはユーカリの木もいっぱいです。
3月にはイースターのお祭りのため、連休があるのですが、 6年前に日本食レストランでバイトをしていたときのお友達の家で、ピザを作りました!すべてBIGサイズ笑
私が行った時、2月のメルボルンは夏でした。
週末は気分転換に、お友達と海沿いの公園に出かけました。砂浜もよく歩いたりしました。
さて2016年5月下旬に帰国して現在10日経ち、私は次にどうするべきかを本当に悩んでいます。私自身も、この体験談を書きまとめることによって自分の気持ちを整理し、今まで英語に努力と情熱を注いできた自分に、どのようなゴールをもしくは再スタートを切らせることができるのか。でも、「行動してきたからこそ開ける道」って、絶対にあるはずです。
英語のクラスでは、(出来るだけ日本人同士でかたまらず)どんどん先生に質問し、クラスメートに自分から話しかけ、積極的な姿勢で臨んでください。昼休みと放課後は、どんな小さなことでもいいので先生へ質問しに行ってください。ライティング練習は自主的に取り組んで、時間があれば書いて先生に提出してください。しっかり修正してもらえます。辞書を使って自分の席で静かに復習する時間も大切ではあります。ですがそれは図書館や自宅でもできることです。他国から来る生徒もたくさんいるなかで、「学校に人が集まる」という、その国際的な場を絶対に自分のスピーキング・リスニング力向上、コミュニケーション力アップに活用すべきです。私はそうしていました。どんどん話しかけて行きました。相手も、意識して話しかけてきてくれます。日本にいてはできないことです。一日にどれだけの量の英語を、どれだけの人と話し、どれだけの人に興味を示し、話を聞く練習をしたかで全然違います。自分の文法が間違っていても全然いいのです。とにかく自発性です。海外に行くというのは、そんなに簡単なことではないと思うのです。お金も、時間も、勇気も要る。人目もある。けれども今、国際化はどんどん進み、今後、日本人はもっともっと実用的な英語について触れて、そしてそれを獲得する必要があると私は感じています。留学中は積極性と勤勉性を、絶対にフルパワーで発揮してください。そうすれば何よりも誰よりも大きな収穫があるはずです。
今回のクラスメートのひとり、フィリピン出身のジーンです。他国からの多くの生徒と出会います。ジーンは今、IELTSコースを卒業後、メルボルンの大学に進学予定です。一緒に頑張りました。よく撮れている一枚。