看護・高齢者ケアプログラム体験談・視察レポート
今ではメルボルンが大好きになってしまい、1年前は日本で普通に看護師として働いていた自分が信じられません。私が留学を決めた理由は本当に単純でした。「いつかは国際的にナースとして働きたい。海外青年協力隊に参加してみたいなぁ」と漠然とした思いを持ち、地元・田舎の赤十字病院に勤めてすでに8年が経っていました。仕事で毎日クタクタになりながらも看護は私の天職と思いこみ、どんなにつらくてもこれだけは誇りでした。患者さんと接し、医療を学ぶ楽しみの毎日の中、大いに彼氏や友達と遊び、結婚も考えたりと極めて普通の生活でした。高校時代に抱いたそんな夢もすっかり忘れて、「英語を学ぼう」など留学寸前まで全く考えていませんでした。
そんな時、病棟であるパンフレットを見つけました。「ナースのための長期メルボルン留学、短期ハワイ研修、中国研修、アメリカ長期留学などなど!!」毎日の慣れた生活に何か刺激が欲しかったわけではありません、でもこれを見て「こんな企画があるんだ。今がチャンス?若い今しかこんなこと出来ないかもしれない。行ってみようかな?「留学」だなんて超かっこいいし、別に現地で看護師として働きたいわけじゃないけどきっといい人生経験になるよね~?」と、こんなにもお気楽なものでした。
メルボルン留学を選んだのは、オーストラリアが最も行きやすそうな国だったからです。人々は陽気で、夏は最高でとても楽しい国、というイメージがありました。このように何の知識もない私がポンとオーストラリアに飛び込んで今まさに、メルボルンは人生においての第二の故郷となりつつあります。
私はMelbourne Language Centreにおいて10ヶ月間、基礎英語を学び、その後2ヵ月間OETクラスにて医療英語を学びました。そして2009年10月、Melbourneにある2つの病院で看護実習を行う機会を得ましたが実習体験は本当に貴重であっという間の2週間でした。看護師としては留学生活1年のうちこの2週間が集大成として今も熱い思い出です。留学生としては「世界を知ることが出来て、私はここに来て本当によかった!!」と120%思っています。日本は自然豊富で住みやすく、人もサービスもよくとても素晴らしい国です。しかし同時に、国はかなり安全に守られているため、日本人は外の世界をあまりにも知らないものなんだなぁ、と少し外の世界を知ったような気持ちです。メルボルンは本当に多国籍文化都市です。
私はホームステイを7カ月間続けました。そこで出会ったのがマンダニチ家、4歳になるAyva(アイバ)と生まれて1カ月のAlana(アラーナ)の2人の可愛い娘がいました。ホストマザーのDiana(ディアナ)とホストファザーのMark(マーク)がまだ35歳で若く、自分と似た年齢だったので話題も尽きず和気あいあいと過ごしました。緊張しながらも紹介されたこのホームステイ先に到着して初日、Ayvaが私に「Come here!! Stay with me!」と椅子をバンバンたたいて話しかけて来たのですが、私は全く単語が拾えない、聞こえないのです。書けばこんなに簡単なフレーズなのに、日本で習う発音とは全く違うのです。Dianaが「Ayvaが、こっちに来て!私の隣に座って!隣に座って欲しいって。」その説明さえよく聞き取れず、私は急に不安と情けなさと悲しさでホストファミリーの前で泣きました。Dianaが「大丈夫よ、英語を学びに来たんでしょ?恥ずかしいことなんてないわ、これからよ」と励ましてくれました。(今思い起こすとあの時はそう言われたように思います、何せ、聞き取れていませんでした)語学学校から帰ると、家では毎日Ayvaが私の家庭教師でした。「I will teach you!!」「私が教えてあげる!」彼女の口癖でした。まだ4歳の子供、Ayvaの話す言葉が一番シンプルであり基本的で、彼女は本当に家でのGreatな先生でした。私はこの家族と本当にいい時間を一緒に過ごせたと思っています。
私の家庭教師、Ayvaの4歳の誕生日パーティーの日。彼女と毎日、家で発音練習。発音がとにかく日本で習うものとは全く違うのです。いつも一緒に遊んで、彼女から簡単で的を得た、基本的な言い回しをたくさん得ました。
ホストファザーのMarkは、私が落ち込んでいても「Hey Hatsumi,どうしたんだよ?」といつも相談に乗ってくれました。私の英語が上達するたびに誉めてくれて、嬉しく感じたのを覚えています。ホストファミリーと一緒に海に行きました。
ホストファミリーと一緒に、2泊3日のモーニントン半島への旅行。4歳の私の可愛い先生・Ayvaと私、スイカを食べながら「カメラに向かって笑って!」と言うと照れくさそうに笑ってくれました。
これは、7ヶ月目ホームステイ終了時の写真です。来たばかりのころはAlanaは生まれてまだ1ヵ月で本当に小さかったのに、今ではだいぶ大きくなりました。お風呂に入れたり、哺乳瓶でミルクを飲ませたりと、母親体験まで出来ました…。ホストマザーのDianaが、本当に本当に優しくていい人でした。年齢が近く、恋愛談や女同士の会話もよく楽しみました。
語学学校では、私のクラスは下から2番目で、同じ入学日に入ったたくさんの日本人の生徒(今では親友と言うべき)はもっと上のレベルでした。同じ日本人なのにくやしくていつも劣等感を持っていました。でも逆にクラスに日本人がいなくてほっとしたのも覚えています。日本人がいるとどうしてもその子に頼ってしまうし、私は私のペースで学んでいけばいいんだ、と思い直せました。「日本人同士でつるまない方が絶対自力で這い上がれるし、いい勉強になる!」と思っていました。これから第二弾で話すことはこの想いをくつがえしますが、またのちに話します。
学校では、基本的に2ヵ月に1回、クラス分けがありました。仲良くなってもすぐにお別れで悲しかったけれど、上のクラスに行けるのは英語が上達している証でした。クラスメートと先生達と、最後の日にパーティーをしました。ベトナム人の女の子たちと一緒にハイチーズ!ちなみに、英語ではハイチーズ!とは言わずに、「1,2,3(ワン,ツー,スリー) smile!」と言って写真を撮ります。
課外授業で美術館へ行った帰り。メルボルンで有名なSouth Bank というテーマ・パークを背景に。左横のクルクル頭の先生が私の一番最初の英語の先生で、いつも外に生徒を連れ出してくれてとてもエキサイトしました。図書館での本の借り方、スーパーでの物の買い方、実際に困った時にどうするのか、など生活に必要なことをよく教えてくれました。
(私が撮った写真なので自分は写っていませんが)ベトナム人のみんな、クラスメートと一緒に課外授業、St Kilda beachへ行き、2時間かけてハンティングゲームをしました。地図を受け取り、与えられたタスクをこなして一番早いチームが勝ちです。レストランでやCDショップ、通り歩きの人、そこらじゅうの人に英語で話しかけなければいけないゲームで…大変でした(笑)
最初のクラスメイトは全員がベトナム人でした。ベトナム人の中に日本人が一人、私はとても目立ちました。急に告白されたり、毎日デートのお誘いがあったりとすごい人気でした。でも疲れました。ある時あまりにもしつこい男の子が数人いて、ずっと無視していました。電話番号も教えていないのにかかってくるのです。学校で問題になり、でもそれは無視していた私も悪いと気付かされました。日本人はものをはっきり言わない傾向があるからです。無視では相手は分からないのです。日本だったらずっと無視していれば普通「あ、嫌なのかな?」と感じます。けれど世界の生徒はそうではありませんでした。Yes,Noをはっきりと言葉にして「あなたに興味ないの」と言わない限り、分かってもらえないのです。相手は「どうして電話に出ないの?大好きだから毎日電話してるのに!」くらいにしか思わないのです。日本人は相手の気持ちを丁寧に配慮するところがあります。素晴らしい文化です。でも世界ではそれは通用せず、「自分の意見がない、おとなしい人種」程度です。はっきり言うことでこの問題は解決しました。日本では個人情報を人に簡単に言う、なんてあり得ない常識です。私は仲良くなったベトナムの女の子の生徒1人か2人に電話番号を教えました。信用して教えたし(今も仲良いベトナムの友達ですから)ただ常識が違うので海外では気をつけてください。悪口ではないのです。もちろん!ベトナム人の生徒たちとも本当に楽しい授業でした。
第2弾に続く・・・・乞うご期待!